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あなたに

信じること

幸せであって欲しいと願うこと

道端に咲く小さな花を

今すぐ見せたいと思うこと

喜びに包まれた時に

誰よりも早く伝えたいと思うこと

それが

誰かを愛するということ

 

悲しみを

心から分かち合いたいと思うこと

躓いて転んだ時

支えてあげたいと思うこと

笑顔を忘れかけた時

いつも一緒にいたいと願うこと

それが

あなたへの僕の気持ち

 

手を繋ぎ感じる温もりも大切

でもそばにいるだけで心に通う暖かさ

それは

どんな苦しみもどんな悲しみも溶かしてくれる

喜びと幸せで心を満たしてくれる

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時の中で

 僕達は生かされている。自らが意識するしないに関わらず時は流れ、その中で確実に身体にも心にも生かされた時間が刻まれてゆく。

 生きているのではなく生かされている。時間の中で歩いてゆく事しか選択肢は無い。もし続いてゆく流れを断ち切ろうとするのなら、選べる道は自らの命を絶つこと。 

 このゆるぎない現実を受け止め、現実を変えるのでなく、受け入れた現実の中でこの時代に生きた証を刻んでゆこうと懸命に努力する事、懸命に歩き続ける事、それが僕達が与えられた時間と与えられた命を生きると言う事。

 過ぎた時間の中に留まっているゆとりは、この短い人生の中にはないのだから。

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余命半年

 ここのところ自己啓発系の本をたくさん読んでいます。その中でたまに書いてあるのが、もし自分が余命半年と宣告されたら何をするかを考えると、その中に本当に自分がしたい事のヒントがあるという言葉です。なるほどと思い僕も真剣に考えてみました。結果今僕がしたい事は、とにかく行きたくて行けないでいる場所に旅行をしよう。そしてそこで感じたことや目にした風景の素晴らしさを少しでも多くの人に伝えよう。という事でした。

 でもそれをするためには会社も辞めなければいけない。お金もたくさん必要になる。少しでも長い間健康で(冒頭の前提からはちょっと矛盾していますが)いなければならない。という事に思い至りました。そうするとそもそも今直ぐに旅行にはいけない。それでは余命半年と宣告を受けた自分は何をすればいいのか。と堂々巡りになってしまいました。結局今現在元気で過ごしている中に無理な前提や極端な仮定を持ち込んでも、現状を打開する考えは生まれてこないのではないかと考えています。

 でもただ漠然と日々を過ごす事からも、またおなじように何も生まれてはこない。とも思います。ではどうしたらよいのか。

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 ずっと前より僕は自分の居場所がわからずにいる。いつもいつも心の中にどうしても消し去る事のできない何かを抱え、自分は今、何をしているのだろう、ここは自分の居場所ではない。そんな思いが拭い去れずにいる。

 でもそうかといって明確な目標や夢があるわけではない。そして厄介な事にただ生きてゆく事に必死になる事も出来ない。だから今でも必死に自分の居場所を探そうともがき続けている。ただ最近歳を重ねたせいか、若い頃のように後先考えずに行動するような事は無くなった。あくまでも生きてゆくために必要な事は『今、しなければならない事』として割り切ってやってゆく事も出来るようになった。

 きっと世の中のかなりの人達が、自分の明確な夢を持ち、歩いている訳ではないのだろうとも思う。今自分が居る環境を夢に置き換えて(例えば仕事を受け入れること、例えば家族を愛すること)日々を全力で生きているのだろうと思う。もし僕もそれが出来るのなら、きっとそうしていると思う。でもどうしても僕にはそれが出来ない。いい大人が何を甘えた事を言っているのか と言う声もあった。それでも一人ぐらいいい歳して子供のように生きているやつがいてもいいんじゃないかなって、今は自分で納得している。

 諦めず歩いてさえいればいつかきっと、自分が自分らしく居られる場所にたどり着けるはずだから。

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久々に書き始めます

 ここのところ公私共に忙しく更新を怠っていましたが、また気持ちを新たにして書き始めようと思います。

 今まで詩や短歌などを書いてきましたが、ここのところ正直心に余裕がないためか感性が鈍っているように感じています。もしかすると日々流れるあまりに情けなく悲しい今の日本の現状に心が張り詰めているせいなのかもしれません。そこでこれからはジャンルを問わず今感じている事を素直に書いてゆこうと思います。

 そしてまた感性が戻ってきたら、たくさん詩を書いてゆきたいと思います。

 先日電車に乗っていた時の事、時間は18:30位に厚木あたりを走っていた時の事です。優先席に座っていた年配の女性が目の前で携帯電話を操作していた20代くらいの男性に『携帯電話はやめて下さい』。と少し離れた場所に立っていた僕に聞こえるくらいの声で注意をしていました。最近では珍しい勇気のある大人だなって感心してみていました。

 その数分後、今度は次の駅から乗ってきて、ごく普通に優先席の前で携帯を操作していた30代くらいの女性に、先ほどの年配の女性がまた注意をしていました。その数分後、また数分後と優先席の前でためらう事も無く携帯電話を操作してる人達に次から次へと携帯の操作を止めてくれるように注意をしていました。そして何人目かに注意をした時の事、『私はペースメーカーをしています。お願いだから携帯電話の電源を切って下さい。命に関わる事なんです。』と今までよりも大きな声で、悲しそうな表情を浮かべて注意をしていました。その瞬間あたりはとても居心地の悪い沈黙に包まれました。この間、注意をされた誰一人として謝った人はいませんでした。僕もとても悲しい気分になり、また同時に今の自分勝手な大人達へのやり場の無い怒りに心が震えました。

 僕が偶然遭遇した車内の出来事ですが、これは今、誰もが見たり感じたりした事のあるごく普通の風景ではないでしょうか。でも今一度考えてみて下さい。今の日本はおかしい。いや世界中の人間がおかしい。誰もがいらいらし、思いやりや優しさを無くしかけている。周りの人のおかれた状況を感じる心の余裕や柔軟性も失っている。僕にはそう思えて、何か人間のたどり着く先を暗示しているように感じられました。

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